【清須・犬山・岡崎・岐阜】名古屋市周辺のおすすめ観光地25選!

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名古屋に行く予定だけど、どこを観光したらいいかなぁ…

旅行する際、どの観光地に行ったら良いか迷う方は多いと思います。この記事では愛知県名古屋市やその周辺エリア(清須市・一宮市・津島市・犬山市・東海市・半田市・知立市・岡崎市など)の観光スポットを紹介します!

名古屋市周辺のおすすめ観光地3選!
  • 名古屋城…金シャチと五層五階の豪華な天守!金シャチ横丁で名古屋グルメを楽しめる!
  • 有松の町並み…卯建・塗籠造・虫籠窓を持つ町家が多く残る昔ながらの町並み。
  • 犬山城…江戸時代の天守が現存!犬山城下町・昭和横丁・日本モンキーパークなど観光地多数!

目次

名古屋市中心部エリア(愛知県)

【日本三大名城・金シャチが輝く!】名古屋城

「金鯱城」「名城」とも呼ばれている名古屋城は大阪城・熊本城と並び「日本三名城」の1つとされています。戦国時代には今川氏・織田氏の拠点だった那古野城がこの付近にありましたが、1555年(弘治元年)に織田信長により那古野城から清洲城に拠点を移します。その後しばらくは清洲城が尾張国の中心地でしたが、清洲は水害が多かったことから1609年(慶長14年)に徳川家康により名古屋城が築かれ、1612年から数年かけて拠点を清洲城から名古屋城に移す「清洲越し」が行われました。江戸時代当時の名古屋城の五層五階建て天守は延べ床面積では史上最大規模、屋根に設置されている金鯱は金の純度が高く、他の城と比べて豪華な造りだったそうです。明治以降も天守や本丸御殿が保存されていましたが、1945年(昭和20年)の名古屋大空襲により焼失。1959年(昭和34年)に天守、2018年(平成30年)に本丸御殿が復元されました。名古屋城の南にある金シャチ横丁では名古屋グルメを楽しむことができます。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…地下鉄名城線 名古屋城駅から徒歩約5分

【名古屋市街地を一望!ホテルも入居】中部電力 MIRAI TOWER(名古屋テレビ塔)

高さ178mの名古屋テレビ塔は日本初の集約電波鉄塔として1954年(昭和29年)に完成しました。2021年より「中部電力 MIRAI TOWER」という名称となっています。地上90mのスカイデッキ(展望台)からは名古屋市街地のほか、天気が良い日には中央アルプス・伊吹山・鈴鹿山脈などが一望できるそう。テレビ塔にはカフェ・レストラン・ショップがあるほか、4階・5階はホテルとなっておりテレビ塔仁宿泊することができます。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…①地下鉄名城線・桜通線 久屋大通駅からすぐ、②地下鉄東山線・名城線 栄駅から徒歩約3分

【町家や土蔵が残る昔ながらの町並み】四間道

1610年(慶長5年)に徳川家康が清洲城から名古屋城へ拠点を移す清州越しが行われた後、この辺りは商人が暮らす町となりましたが、1700年(元禄13年)に町の多くの住宅が焼失。このことをきっかけに燃え移りを防ぐために道を四間(約7m)に拡張したことから「四間道(しけみち)」と呼ばれるようになりました。名古屋大空襲により被害が比較的少なかったことから、現在も町家や白壁の土蔵が多く残されており、町家の2階には屋根神様が祀られているところもあります。近くにはレトロな雰囲気の円頓寺(えんどうじ)商店街があります。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…地下鉄桜通線 国際センター駅から徒歩約5分


【日本三大観音】大須観音

名古屋市中心部の大須にある、聖観音を本尊とする真言宗智山派の寺院です。浅草観音(東京都台東区)・津観音(三重県津市)と並び「日本三大観音」の1つとされています。1190年頃に現在の岐阜県羽島市桑原町大須に能信が建立した寺院を起源とし、1612年(慶長17年)に現在地に移転しました。四天王寺の観世音菩薩を移してご本尊としたそうです。かつては五重塔がありましたが1945年(昭和20年)の名古屋大空襲で本堂とともに焼失、現在の本堂は1970年(昭和45年)に再建されたものです。境内は華精の鐘・人形塚・歯歯塚などがあります。大須観音の近くには大須商店街があり、電気街・オタクの町として知られています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…地下鉄鶴舞線 大須観音駅からすぐ

【洋風の建物や日本庭園が見られる】鶴舞公園

鶴舞(つるま)公園は1909年(明治42年)に名古屋市で初めて設置した公園です。公園内には洋風な建物・茶室・日本庭園など様々な景色が見られ、コスプレの撮影スポットとしても知られています。

ばしたく
ばしたく
  • 名古屋市公会堂・普選記念檀・鶴々亭・バラ園などが鶴舞公園の見どころ!

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…JR中央線・地下鉄鶴舞線 鶴舞駅からすぐ

【徳川家の大名庭園】徳川園

1695年(元禄8年)に尾張藩2代藩主の徳川光友により大曽根御屋敷として造営された池泉回遊式庭園で、徳川光友の御隠居所として利用されていました。木曽三川・木曽山脈・伊勢湾・濃尾湾などに見立てられた池や山の配置となっていることが特徴。1945年(昭和20年)の名古屋大空襲により庭園の一部は被害を受けましたが、当時の黒門・脇長屋・塀などが焼失を免れているほか、2005年(平成17年)に日本庭園として再び整備されました。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…JR中央線・地下鉄名城線・名鉄瀬戸線 大曽根駅から徒歩約10分
  • 路線バス…市バス・名鉄バス 徳川園新出来バス停からすぐ

熱田・笠寺・有松エリア(愛知県)

熱田神宮

(編集中)

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…①名鉄名古屋本線 神宮前駅から徒歩約3分、②地下鉄名城線 熱田神宮西駅から徒歩約7分、③JR東海道線 熱田駅から徒歩約8分

【東海道の渡し船】七里の渡し

東海道の宮宿(熱田)と桑名宿を短絡するための交通手段として、1616年(元和2年)に開設されました。「七里の渡し」は最短経路が7里(約27㎞)だったことに由来し、片道約4時間かけて旅人は海を渡ったそうです。宮宿側の七里の渡しの船着き場は「宮の渡し公園」として整備されており、常夜燈や鐘楼があります。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…地下鉄名城線 熱田神宮天馬町駅から徒歩約8分

【尾張四観音】笠覆寺

笠覆寺(りゅうふくじ)は十一面観音を本尊とする真言宗智山派の寺院で「笠寺観音」として地域住民に親しまれています。「尾張四観音」の1つです。733年(天平5年)に善光呼続の浜に打ち上げられていた不思議な光を放つ霊木を使って十一面観音像を彫り、その像を祀る寺を建立しました。それから約200年後、その寺は朽ちており雨風にさらされていた十一面観音像を鳴海家長の家に仕える娘が傘で覆っていると、旅の途中で通りかかった藤原兼平がその娘を見初めて都に連れ帰り妻としました。この縁をきっかけに現在地に観音像を祀る寺院が建立され「笠覆寺」と名付けられました。本尊の十一面観音像は普段は見ることはできず、8年に1度のみ開帳されます。

【基本情報】

  • 所在地…愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83
  • 公式ページ…http://kasadera.jp/

【交通アクセス】

  • 鉄道…①名鉄名古屋本線 本笠寺駅から徒歩約3分、②地下鉄桜通線 櫻本町駅から徒歩約15分、③JR東海道線 笠寺駅から徒歩約20分
  • 路線バス…市バス 笠寺西門バス停からすぐ

【伝統的な町家が多く残る】有松の町並み

東海道の池鯉鮒宿と鳴海宿の間に位置する有松は染め織物の「有松・鳴海絞り」で栄えた地域です。卯建・塗籠造・虫籠窓を持つ町家が多く並び、現在も古い町並みが残されています。かつての有松付近は松林が生い茂る荒野でしたが、1608年(慶長13年)に尾張藩によりこの地へ人々を移住させ有松村が形成されました。有松村は農業に適さない地域であったため、染め織物などの産業によって有松村の人々は生計を立てていたそうです。有松村は1784年(天明4年)に火災で全焼しており、現在の有松に残る町家はこの火災以降に建てられましたが、有松の町家が漆喰を厚く塗る塗籠造となっていたり瓦屋根が使われているのは防火対策のためだそうです。

【基本情報】

  • 所在地…愛知県名古屋市緑区有松町大字有松
  • 公式ページ…http://kasadera.jp/

【交通アクセス】

  • 鉄道…名鉄名古屋本線 有松駅

八事・覚王山エリア(愛知県)

【五重塔が建つ・尾張高野】興正寺

興正寺(こうしょうじ)は大日如来を本尊とする真言宗の寺院で「八事観音」とも呼ばれています。空海(弘報大師)より法具を授かった天瑞圓照が1680年代(貞享年間)に創建。その後は尾張徳川家の祈願寺として繁栄し「尾張高野」とも呼ばれました。境内は西山本堂・五重塔・観音堂などが建つ西山と、東山本堂・大日堂などが建つ東山に分かれています。1808年(文化5年)に建立された五重塔は愛知県最古の現存する木造五重塔です。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…地下鉄名城線・地下鉄鶴舞線 八事駅から徒歩約3分
  • 路線バス…市バス 八事バス停からすぐ

【タイ王国と繋がりが深い寺院】覚王山日泰寺

覚王山日泰寺(かくおうざんにったいじ)は釈迦金銅仏をご本尊として祀る寺院です。1898年(明治31年)にインドで仏教を開祖した釈迦の遺骨とされる真身舎利が発見され、その後真身舎利はイギリスやシャム(現在のタイ)を経て日本へ、シャム国からは釈迦金銅仏も日本に贈られ、真身舎利と釈迦金銅仏この地に祀られることになりました。1904年(明治37年)創建時は「覚王山日暹寺(かくおうざんにっせんじ)」という名称でしたが、シャム国からタイ王国へ改名される際に、この寺院の名称も「覚王山日泰寺」に変更されました。境内には1984年(昭和59年)に再建されご本尊が安置されている本堂、1918年(大正7年)に建立された奉安塔、1997年(平成9年)完成した高さ30mの五重塔などがあります。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…地下鉄東山線 覚王山駅から徒歩約15分
  • 路線バス…市バス 覚王山バス停から徒歩約10分

清洲・一宮エリア(愛知県)

【織田家の居城だった】清洲城

1405年(応永12年)に尾張守護の斯波義重(しばよししげ)により築城され、その後織田信長をはじめとする織田氏の居城となりました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に清洲城は東軍の後方拠点として使用され、その後は徳川氏の拠点に。1609年(慶長14年)に徳川家康により清洲城から名古屋城へ拠点を移す「清洲越し」が行われ清洲城は廃城となりました。当時の清洲城は残っていませんが、1989年(平成元年)に模擬天守が完成。天守では清洲城の歴史に関する資料の展示が行われているほか、清洲城近くの清洲公園には織田信長の銅像が立っています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…①JR東海道線 清洲駅から徒歩約15分、②名鉄名古屋本線 新清洲駅から徒歩約5分

【尾張国一宮】真清田神社

真清田神社(ますみだじんじゃ)は尾張氏の祖神とされる天火明命(あめのほあかりのみこと)を祀る神社で、尾張国一宮とされる格式の高い神社です。この地が清く澄んだ水により形成された水田地帯だったことから「真清田(ますみだ)」と呼ばれるようになった説があり、「一宮」という地名は真清田神社が尾張国一宮であることに由来します。順徳天皇や徳川家・松平家からの信仰が篤く、順徳天皇が奉納したとされる舞楽面は国の重要文化財に指定されています。かつての社殿は一宮空襲により焼失しており、現在の社殿は昭和30年代に再建されたものです。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…①JR東海道線 尾張一宮駅から徒歩約8分、②名鉄名古屋本線 名鉄一宮駅から徒歩約8分

あま・津島エリア(愛知県)

【尾張四観音】甚目寺

甚目寺(じもくじ)は聖観音を本尊として祀る真言宗智山派の寺院です。「甚目寺観音」として地域住民に親しまれているほか、「尾張四観音」の1つとされています。597年(推古天皇5年)に甚目龍麿が漁をしていると網に観音像がかかり、近くの砂浜にその観音像を安置するお堂を創建。天智天皇が病気になった際に甚目寺で祈祷すると病気が回復したことや、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康による寄進や保護を受けて繁栄するなど、歴史上の重要人物とかかわりが深い寺院です。源頼朝により1196年(建久7年)に建てられた南大門、1627年(寛永4年)に建てられた三重塔などが境内の見どころ。本堂に安置されている十一面観音像は50年度に1度のみ開帳されます。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…名鉄津島線 甚目寺駅から徒歩約5分

【天王社の総本社】津島神社

津島神社は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祀る神社です。神仏分離前までは牛頭天王(ごずてんのう)も祀られており「津島牛頭天王社」という神社名であったほか、全国各地にある天王社の総本社とされています。540年(欽明天皇元年)の創建とされており、日本にやってきた牛頭天王はこの地を霊地として定めたとされています。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康からの信仰も篤かったそうです。明治時代の神仏分離の際に牛頭天王や仏教的要素が廃されましたが、「尾張津島天王祭」という祭りが現在も行われるなど牛頭天王の要素は現在も残されています。本殿は1605年(慶長10年)に建立、楼門は1591年(天正19年)に建立されたものです。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…名鉄津島線・名鉄尾西線 津島駅から徒歩約15分

犬山・小牧・江南エリア(愛知県)

【貴重な現存天守!】犬山城

犬山城は「現存十二天守」の1つとされる当時の天守の建物が残る貴重なお城で、木造天守としては現存最古とされています。1469年(文明元年)に織田広近がこの地に砦を築いたことを起源とし、1537年(天文6年)に織田信康が本格的な城郭を造ったとされています。1871年(明治4年)に犬山城は廃城となり天守以外の建物は解体されましたが、その後天守は個人に譲渡。現在は法人により犬山城の維持管理が行われています。天守最上階からは犬山城下町を眺めることができます。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…名鉄犬山線・名鉄小牧線 犬山駅から徒歩約15分

【4年だけ織田信長が暮らしたお城】小牧山城跡

標高約85mに位置する小牧山城は1563(永禄6年)に美濃国の斎藤氏を攻めるための準備として築城されました。しかし4年後に織田信長は美濃国に移ったことから小牧山城はわずか4年で廃城。その後1584年(天正12年)に豊臣秀吉と徳川家康との間で起こった小牧・長久手の戦いで徳川軍は小牧山に本陣を置きました。1967年(昭和42年)に城郭風の小牧市歴史館(小牧城)が建設され、小牧山に関する歴史資料の展示が行われています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…名鉄小牧線 小牧駅から徒歩約25分
  • 路線バス…名鉄バス・ピーチバス 小牧市役所前バス停からすぐ

【サングラス大仏・面白い写真が撮れる】布袋の大仏

布袋の大仏は名鉄犬山線の線路沿いに鎮座する高さ18mの大仏像で、個人所有のものとしては日本最大級です。きゅう師の前田秀信さんはお告げを受けたことことから大仏を建立することとし1954年(昭和29年)に完成しました。布袋の大仏には治療院が併設されており、住居一体型となっていることが特徴。近くの踏切のライトが大仏の両目に重なる写真が撮影できることから「サングラス大仏」などと呼ばれることがあります。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…名鉄犬山線 布袋駅から徒歩約12分

東海・常滑・半田エリア(愛知県)

【大仏が鎮座する公園】聚楽園公園

聚楽園公園(しゅうらくえんこうえん)は大仏・池・健康ふれあい交流館・キャンプ場などがある東海市の講演です。1916年(大正5年)に実業家の山田才吉が伊勢神宮の外宮前にあった旅館をこの場所に移築して旅館「聚楽園」を開館。開館当時の聚楽園周辺は海岸沿いの景勝地で行楽客で賑わっていたようです。聚楽園大仏は昭和天皇ご成婚記念として1927年(昭和2年)に建設。高さ約18mの聚楽園大仏は当時の日本最大仏像であり、日本初の鉄筋コンクリート製大仏です。戦後に東海市により聚楽園公園として整備されており、旅館「聚楽園」は解体されましたが、茶室「嚶鳴庵」が建っているほか、健康ふれあい交流館・保健福祉センター・キャンプ場などがあります。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…名鉄常滑線 聚楽園駅から徒歩約5分

【ビール工場をリニューアル】半田赤レンガ建物

半田赤レンガ建物は三棟で構成されているイギリス積レンガ造りの建物です。1898年(明治31年)に丸三麦酒(現在のカブトビール)の工場として建設。戦時中は中島飛行機半田製作所の倉庫、戦後は日本食品化工の工場として使用されました。1994年(平成6年)に工場が操業停止、貴重な赤レンガ建物であることから保存されることとなり、2014年(平成26年)に「半田赤レンガ建物」としてリニューアルされました。生カブトビールを味わえるビアホール、音楽を楽しめるクラブホール、半田赤レンガ建物やカブトビールの歴史を紹介する展示室などが入居しています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…①名鉄河和線 住吉町駅から徒歩約5分、②JR武豊線 半田駅から徒歩約15分

知立・安城エリア(愛知県)

【三河国二宮】知立神社

知立神社(ちりゅうじんじゃ)は鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)など4柱を主祭神として祀る神社で、以前は「池鯉鮒大明神(ちりふだいみょうじん)」とも呼ばれていました。三河国二宮とされています。ヤマトタケルが東国平定から戻る際に、この地に建国祖神である4柱をこの地に祀ったことが起源とされています。水野家や松平家からの信仰も篤かったそうです。本殿は1831年(天保2年)の再建で、本殿・幣殿・祭文殿・回廊・拝殿を縦長に配置する「尾張造」と呼ばれる建築様式が特徴。境内には明治時代築の茶室「池鯉鮒庵」・洋風建築「養正館」が建つほか、拝殿近くの池には1732年(享保17年)造営の石橋が架かっています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…名鉄名古屋本線 知立駅から徒歩約12分

岡崎エリア(愛知県)

【徳川家康が生まれたお城!】岡崎城

岡崎城は1450年代に西郷稠頼により龍頭山に建てられたお城で「龍城」とも呼ばれています。1530年代に徳川家康の祖父にあたる松平清康が入ると岡崎城が本格的に整備され、1542年(天文11年)には徳川家康が岡崎城で生まれました。その後の岡崎城は松平家から今川家に移り、1560年(永禄3年)に桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると徳川家康は今川家から独立。1570年(元亀元年)に徳川家康は岡崎城から浜松城へ移り、その後の岡崎城は石川氏・本多氏などに受け継がれます。1873年(明治6年)の廃城令により岡崎城は廃城となりましたが、1959年(昭和34年)に天守が再建。天守の1階から3階は岡崎城に関する資料展示、4階は江戸時代の岡崎城下町の映像を楽しめるシアターとなっているほか、5階からは岡崎市街地を一望することができます。敷地には徳川家康の銅像や、徳川家康が生まれる際に使われたとされる産湯の井戸があることが見どころ。岡崎公園にある八千代本店で「なめし田楽」という岡崎名物料理をいただくことができます。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…①名鉄名古屋本線 東岡崎駅から徒歩約15分、②愛知環状鉄道 中岡崎駅から徒歩約15分


(編集中)

岐阜・大垣エリア(岐阜県)

【織田信長が暮らしたお城】岐阜城

岐阜城は金華山(稲葉山)に建つお城で、1201年(建仁元年)に二階堂行政がこの地に砦を築いたことを起源と、稲葉氏の時代には「稲葉山城」と呼ばれるようになります。その後は長井氏や斎藤氏の時代を経て、1567年(永禄10年)の稲葉山城の戦いにより織田信長が斎藤氏を追放すると小牧山城からこの地に拠点を移し、この頃から「岐阜」と呼ばれるようになります。1601年(慶長6年)に徳川家康により岐阜城は廃城となり、新たに加納城を築城。岐阜城にあった構造物の一部は加納城に移築されました。1956年(昭和31年)に三層四階建ての模擬天守が再建され、1階から3階は資料展示室、4階は岐阜市街地や長良川を一望できる展望室となっています。金華山の山頂付近に位置する岐阜城へは金華山ロープウェイへ移動できるほか、登山道を徒歩で約60分かけて登ることも可能です。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 路線バス…岐阜バス 岐阜公園・歴史博物館前バス停下車、金華山ロープウェーで山頂駅へ、

桑名・四日市エリア(三重県)

【オシャレな木造洋館】六華苑

六華苑(ろっかえん)は2階建ての木造洋館で国の重要文化財に指定されています。日本一の大地主とも呼ばれ、桑名のまちづくりにも貢献した実業家の2代目諸戸清六の邸宅として1913年(大正2年)に完成。鹿鳴館や旧海軍省本館の設計を担当したジョサイア・コンドルによる設計で、東京以外では六華苑が唯一のコンドル設計による建物です。4階建ての塔屋を持つ2階建ての木造洋館は白色と水色を基調としたオシャレな外観で、洋風メインの内装ではあるものの襖が設けられているなど和洋折衷のデザインとなっていることが特徴。木造平屋の和館が洋館に隣接して建てられているほか、池や滝が配置されている庭園があります。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…JR関西線・近鉄名古屋線 桑名駅から徒歩約20分

 



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