旅行する際、どの観光地に行ったら良いか迷う方は多いと思います。この記事では滋賀県大津市やその周辺エリア(草津市・野洲市・近江八幡市など)の観光スポットを紹介します!
大津市中心部エリア(滋賀県)
【天台寺門宗の総本山】園城寺(三井寺)
園城寺(おんじょうじ)は弥勒菩薩を本尊とする天台寺門宗総本山の寺院です。7世紀に大友与多王が父の菩提のために創建。境内の霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「三井寺」とも呼ばれています。9世紀に円珍が唐から帰国すると再興。延暦寺とたびたび衝突しており、延暦寺により何度も園城寺は焼き討ちにあっています。豊臣秀吉により1595年(文禄4年)に建立された金堂、1601年(慶長6年)に再建された光浄院客殿、毛利輝元により寄進を受けて建立された勧学院客殿は国宝に指定されています。
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【日本の時計制度発祥の地】近江神宮
近江神宮は天智天皇を主祭神とする旧官幣大社の神社です。天智天皇の時代に飛鳥から近江大津宮に遷都されたことに因み、1940年(昭和15年)に創建されました。天智天皇は日本で初め漏刻(水時計)を設置したことから日本の時計制度発祥の地とされており、境内には漏刻・火時計・日時計が設置されているほか、時計館宝物館では日本最古級の懐中時計など様々な時計が設置されています。本殿は「近江造」と呼ばれる独自の建築様式です。
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比叡山坂本・雄琴エリア(滋賀県)
【全国各地の日吉神社の総本社】日吉大社
日吉大社は西本宮に大己貴神・東本宮に大山咋神を祀る二十二社の1つ・旧官幣大社の神社です。全国にある日吉・日枝・山王神社の総本社とされています。崇神天皇7年に比叡山に降り立ったとされる大山咋神を祀ったことを起源とし、668年(天智天皇7年)に大神神社から大己貴神を勧請し現在の形となります。最澄が比叡山の守護神としたことや平安京の鬼門の位置であり鬼門除けとされたことから、国や歴史的重要人物からの崇敬も篤かったそうです。1586年(天正14年)に再建された西本宮本殿、1595年(文禄4年)に再建された東本宮本殿は国宝に指定されており、日吉大社特有の「日吉造」と呼ばれる独自の建築様式となっていることが特徴です。
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【日本最大の里坊庭園】旧竹林院
旧竹林院(きゅうちくりんいん)は比叡山の麓・坂本にある日本庭園で国の名勝に指定されています。里坊庭園としては日本最大の3300㎡の面積を持ち、八王子山を借景として滝組・築山・茶室・四阿などが配置されています。
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【天台真盛宗の総本山】西教寺
西教寺(さいきょうじ)は阿弥陀如来を本尊とする天台真盛宗総本山の寺院です。良源が建てた草庵を起源とし、1486年(文明18年)に真盛により再興。戒律と念仏を重視する道場として繁栄しました。1739年(元文4年)に紀州徳川家の寄進により再建された本堂は阿弥陀如来が安置され、江戸初期の豪華な装飾が施されています。
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延暦寺
(編集中)
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【琵琶湖を眺められる温泉地】おごと温泉
琵琶湖の湖畔に位置するおごと温泉はアルカリ性単純温泉の泉質で神経痛・筋肉痛・関節痛・冷え性などに効果があるといわれています。約1200年前に最澄により開湯。平安時代にこの地には貴族であった今雄宿禰の荘園があり、その邸からよく琴の音が聞こえたことから「雄琴(おごと)」と呼ばれるようになったと伝わります。現在は約10軒の旅館・ホテルが営業しており、近江牛・鴨肉料理などを楽しむことができます。
石山・瀬田エリア(滋賀県)
【京都防衛の重要な橋だった】瀬田の唐橋
瀬田の唐橋は瀬田川に架かる223.7mの橋で、宇治橋(京都府宇治市)・山崎橋(現存せず)と並び「日本三名橋」の1つとされています。1889年(明治22年)までは瀬田川に架かる唯一の橋で京都防衛の重要地とされていました。1575年(天正3年)に織田信長により本格的に架橋されますが、1582年(天正10年)の本能寺の変以降に明智光秀が安土を攻めるのを防ぐために瀬田の唐橋は焼失。その後豊臣秀吉により再架橋されるなど、瀬田の唐橋は何度か架け替えが行われています。現在の瀬田の唐橋は1979年(昭和54年)に架けられ、唐茶色の特徴的な橋となっています。
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【近江国一宮】建部大社
建部大社は日本武尊・大己貴命を主祭神とする旧官幣大社の神社で、近江国一宮とされる格式の高い神社です。景行天皇46年に日本武尊の妃である布多遅比売命が日本武尊を祀る神社を創建し、675年(天武天皇4年)に現在地に移転。755年(天平勝宝7年)に大己貴命が大神神社から勧請されました。源頼朝はこの地で源氏の再興を祈り、後に大願成就したことから出世開運の神としても知られています。境内の石灯籠は鎌倉時代の1270年に造営されたもので重要文化財に指定されています。
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草津・野洲エリア(滋賀県)
【国宝指定の本殿】御上神社
御上(みかみ)神社は天之御影命(あめのみかげのかみのみこと)を主祭神とする旧官幣中社の神社で、現在は神社本庁の別表神社とされています。孝霊天皇6年に天之御影命三上山の山頂に降臨し、神主が三上山を御神体として祀ったことが起源。718年(養老2年)に藤原不比等の勅命により現在地に社殿が造営されました。鎌倉時代に建立されたとされる本殿は神社・寺院の建築様式が融合したような「御上造」と呼ばれる独特のもので国宝に指定されています。
近江八幡・安土エリア(滋賀県)
【白壁の土蔵が残る昔ながらの町並み】八幡堀
安土桃山時代の1585年(天正15年)に豊臣秀吉の甥にあたる豊臣秀次が八幡山城を築城して城下町を開くと、八幡山城下町と琵琶湖を水路で結ぶために八幡堀が開削されました。近江商人は八幡堀の運河を使って全国各地へ産物が運ばれていき、「三方よし」という商売概念は近江八幡で生まれたとされています。現在の八幡堀は運河機能は失ったものの保存活動が行われており、八幡堀沿いに白壁の土蔵が並び風情のある風景となっていることから国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
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【近江八幡の名前の由来】日牟禮八幡宮
日牟禮(ひむれ)八幡宮は誉田別尊・息長足姫尊・比賣神を主祭神とする旧県社の神社です。131年(成務天皇元年)に成務天皇が竹内宿禰に命じて大嶋大神を祀ったことを起源とします。991年(正暦2年)に一条天皇の勅願により宇佐八幡を勧請して八幡山上に上の八幡宮を、遥拝社である下の社を山麓に建て、1585年(天正15年)に豊臣秀次が八幡山城を築城した際に上の八幡宮を下の社に合祀します。「近江八幡」という地名は日牟禮八幡宮が鎮座していることに由来。徳川家康が日牟禮八幡宮に参拝するなど、徳川家からの崇敬も篤かったそうです。
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安土城天守 信長の館
(編集中)
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