旅行する際、どの観光地に行ったら良いか迷う方は多いと思います。この記事では飛騨エリア(高山市・飛騨市・白川村・下呂市)の観光スポットを紹介します!
目次
高山エリア
【江戸時代の商業都市の雰囲気が残る】三町の町並み
三町(さんまち)は高山市中心部の上三之町・上二之町・上一之町・片原町・神明町4丁目といった地域の総称です。金森長近が高山城を築くとこの辺りは城下町として発展、1692年(元禄5年)に幕府直轄地になると町人地となり飛騨地方の商業中心都市として栄えました。三町には江戸時代後期から明治時代にかけての和風建築が多く残されており、国の重要伝統的建造物群保存地区にしてされています。
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【唯一の現存陣屋!】高山陣屋
飛騨高山藩主・金森氏の下屋敷だったものを、1692年(元禄5年)に江戸幕府が飛騨を直轄領にするとこの建物は代官所・高山郡代役所の機能を持つ高山陣屋とされました。代官所・郡代役所として使われた建物が現存しているのは高山陣屋が唯一。表門の前では毎朝「陣屋朝市」が行われており、宮川朝市とともに高山の有名な朝市として知られています。
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【日本三大朝市の1つ】飛騨高山宮川朝市
飛騨高山宮川朝市は宮川沿いの朝市通りで開催され、飛騨紅かぶ・飛騨りんご・飛騨メロンなどの高山の名産品、さるぼぼ・一位一刀彫などの雑貨などが販売されます。勝浦朝市(千葉県勝浦市)・輪島朝市(石川県輪島市)と並び「日本三大朝市」の1つといわれており、地元の人々や観光客が多く訪れます。
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【三重塔と樹齢1250年の大イチョウ】飛騨国分寺
飛騨国分寺は薬師如来を本尊とする高野山真言宗の寺院で、聖武天皇の国分寺建立の詔により757年に行基により創建されました。創建当初は七重塔があり、建物は現存しませんが礎石は現存。本堂は室町時代に、三重塔は1820年(文政3年)に建立されたもの。境内の大イチョウは樹齢約1250年と推測されており、長い間高山を見守り続けています。
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【飛騨国一宮】水無神社
水無(みなし)神社は水無大神(御歳大神をはじめとする15柱の総称)を祀る旧国幣小社の別表神社で、飛騨国一宮とされる格式の高い神社です。詳しい由緒は不明ですが、古くから飛騨国の鎮守・祖神として信仰されて、高山藩主の金森長近や歴代高山代官・高山郡代からの崇敬も篤かったそうです。樹齢約800年と推測される大スギや、稲喰(いなはみ)の馬と呼ばれる2頭の木造神馬が神馬舎に安置されていることが特徴です。
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平湯温泉(奥飛騨温泉郷)
(編集中)
奥飛騨大鍾乳洞
(編集中)
飛騨エリア
【鯉が泳ぐ昔ながらの町並み】瀬戸川と白壁土蔵街
飛騨市中心部の古川地区を流れる瀬戸川沿いには古い町家や白壁の土蔵が多く残されており「瀬戸川と白壁土蔵街」と呼ばれています。瀬戸川には約1000匹の鯉が泳いでおり、風情のある町並みとなっています。なお瀬戸川の鯉は11月下旬から4月上旬まで越冬のため、増島城跡の池に移されます。
【神岡市街地を一望!】神岡城
神岡城(東町城)は1564年(永禄7年)に越中国信仰を目的に武田信玄の命を受けた江馬時盛が築城。1585年(天正13年)に金森長近が飛騨国を攻略するとその家臣の山田小十郎が入城しますが、1615年(元和元年)に江戸幕府による破却。当時の神岡城の建物は現存しませんが、当時の石垣や堀は残されています。現在の独立式望楼型二重三階の模擬天守は1970年(昭和45年)に三井金属鉱業神岡鉱業所の創業100周年記念として建てられ、模擬天守からは神岡市街地を一望することができます。
白川エリア
白川郷
(編集中)
下呂エリア
【日本三名泉の1つ!】下呂温泉
下呂(げろ)温泉は岐阜県を代表する温泉地で、草津温泉(群馬県吾妻郡草津町)・有馬温泉(兵庫県神戸市北区)と並び「日本三名泉」の1つとされています。飛騨川沿いには旅館・高級ホテル・ビジネスホテルなどが多く並ぶほか、飛騨川河川敷には「噴泉池」と呼ばれる気軽に入ることができる足湯が設けられています。アルカリ性単純温泉の泉質でお肌に良いと評判。朴葉味噌・とちのみせんべいなどのグルメやさるぼぼ(人形)などの雑貨が下呂の名物です。
【白鷺伝説ゆかりの地】温泉寺
温泉寺(おんせんじ)は薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院です。平安時代ごろより存在していた下呂温泉は1265年(文永2年)に源泉が枯れると、その翌日に飛騨川の河原に一羽の白鷺が舞い降り、その場所では温泉が湧いていたそう。その後白鷺は中根山の中腹の松に止まり、その下に薬師如来像が鎮座していたことから、この地にお堂が建てられたとされています。
岩屋岩蔭遺跡
(編集中)
【基本情報】 【交通アクセス】
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