旅行する際、どの観光地に行ったら良いか迷う方は多いと思います。この記事では佐賀県佐賀市やその周辺エリア(吉野ヶ里町・神埼市・鹿島市・武雄市・嬉野市など)の観光スポットを紹介します!
佐賀エリア(佐賀県)
【江戸時代の門や櫓が現存!】佐賀城跡
佐賀城は龍造寺隆信の居城として築かれた龍造寺城(村中城)を起源とし、その後鍋島直茂に実験が移ると城の改修が始まり、鍋島勝茂の時代の1611年(慶長6年)に完成しました。江戸時代に発生した火災や1874年(明治7年)の佐賀の乱などで佐賀城の多くの建物は失われていますが、1838年(天保9年)に再建された鯱の門と続櫓は現存しています。2004年(平成16年)に復元された本丸御殿は佐賀県立佐賀城本丸歴史館となっており、佐賀城や佐賀藩に関する資料展示が行われています。
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【レンガ風のオシャレな建物】旧古賀銀行(佐賀市歴史民俗館)
古賀銀行は1885年(明治18年)に(初代)古賀善兵衛により創業された銀行です。最盛期には佐賀県で最大の預金残高を有し、「九州の五大銀行」の1つと呼ばれるほど成長しましたが、1933年(昭和8年)に解散。1906年(明治39年)に竣工した旧古賀銀行の建物は煉瓦風タイル張りの外観が特徴的で、銀行解散後も保存が続けられています。現在の旧古賀銀行1階はランチやティータイムを楽しめる「レストラン&カフェ 浪漫座」が入居しています。
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【肥前国一宮】與止日女神社
與止日女(よどひめ)神社は與止日女命を主祭神とする旧県社の神社で、肥前国一宮とされる格式の高い神社です。後陽成天皇が自ら勅額を賜ったほか、現在の本殿・幣殿・拝殿は1816年(文化13年)に鍋島家により再建されました。1573年(元亀4年)に建立された西門は佐賀県内では最も古い木造建築のひとつ。1608年(慶長13年)に鍋島家の寄進により建てられた三ノ鳥居は柱の下部が太い「肥前鳥居」と呼ばれる特徴的な形状です。
【ぬる湯】古湯温泉
古湯(ふるゆ)温泉は佐賀市北部の山あいに位置し約10軒の旅館や共同浴場「古湯温泉センター」が建ち並びます。アルカリ性単純温泉の泉質で神経痛・神経炎・疲労回復・不眠症などに効果があるとのこと。また古湯温泉が38度程度の「ぬる湯」となっていることが特徴で、長い時間浸かることができます。
【国産初の実用蒸気船が製造された】三重津海軍所跡
三重津海軍所は1858年(安政5年)に佐賀藩が設立した蒸気船などの船の修理や建造を行っていた海軍施設です。1859年(安政6年)に長崎海軍伝習所が閉鎖されると佐賀藩士の教育や所有する西洋船の修理のために機能が拡張され、オランダで製造された佐賀藩所有の木造帆船・蒸気船の修理が行われたほか、1865年(慶応元年)には国産初の実用蒸気船「凌風丸」が製造されました。幕末の海軍や日本の洋式船に関する技術がわかる貴重な遺跡であることから、2015年(平成27年)には「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されています。
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神埼・吉野ヶ里エリア(佐賀県)
【紅葉の名所】九年庵
九年庵は明治時代後半に実業家の伊丹弥太郎が建てた別邸にある日本庭園です。1892年(明治25年)に別邸が建てられ、1900年(明治33年)から9年かけて日本庭園が造られたことが「九年庵」の名前の由来です。モミジやツツジの名所として知られており、毎年春と秋に一般公開されています。
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【弥生時代の遺跡】吉野ヶ里歴史公園
(編集中)
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鹿島エリア(佐賀県)
【総漆塗極彩色の豪華な社殿】祐徳稲荷神社
祐徳稲荷神社は倉稲魂大神などを主祭神として祀る旧県社の神社で、商売繁昌・家運繁栄・交通安全など神様として信仰されているほか、「日本三大稲荷」や「九州三大稲荷」の1つに数えられることがあります。鹿島藩初代藩主の鍋島直朝が萬子媛を継室とし、萬子媛が伏見稲荷より分霊を勧請したことが祐徳稲荷神社の起源とされています。社殿は総漆塗極彩色の豪華絢爛な外観であることから「鎮西日光」とも呼ばれています。
【白壁の建物や町家が残る昔ながらの町並み】肥前浜宿
多良海道の宿場町として栄えた肥前浜宿は白壁の建物・土蔵造の酒蔵・くど造りの茅葺町家など様々な伝統的建築物が現存する町並みとなっており、2006年(平成18年)には重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。浜川左岸の浜中町八本木宿には白壁の建物や現役の酒蔵が並ぶ「酒蔵通り」があり昔ながらの宿場町の雰囲気が残されています。浜川右岸の浜庄津町浜金屋町は鹿島藩の港町や在郷町として栄えた地域で、くど造りの茅葺町家や桟瓦葺町家が見られます。
武雄エリア(佐賀県)
武雄温泉
武雄温泉は約1200年前に開湯したと伝わり、豊臣秀吉・伊達政宗・宮本武蔵・吉田松陰などの多くの歴史的重要人物が武雄温泉に訪れ入湯したという記録もあります。泉質は弱アルカリ単純泉で保温性に優れていることや肌になじみやすいことから「美人の湯」とも呼ばれています。武雄温泉のシンボル的建築物である楼門は辰野金吾による設計で1915年(大正4年)に完成、竜宮城のような朱色の外観が特徴的です。
武雄神社
武雄神社は武内宿禰を主祭神とする神社です。735年(天平3年)に初代神主の神託により創建され、平安時代には大宰府の府社とされ国使が参向するなど大宰府の重要な神社だったそう。文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いでは平氏追討祈願を行ったことから、源氏との関わりが深かったようです。武雄神社の使いは白鷺とされていることから、1970年(昭和45年)に再建された拝殿・本殿は白い外観となっていることが特徴。武雄神社の御神木である大楠は推定齢3000年と伝わり、幹にある12畳ほどの空洞には天神様が祀られています。
御船山楽園
御船山楽園は標高210mの御船山南西麓に位置する池泉回遊式の日本庭園です。神功皇后が新羅征伐から帰ってきた際にこの山の近くに船を着けたことから「御船山」と呼ばれるようになったそう。佐賀藩第28代武雄領主の鍋島茂義が「萩の尾園」として1845年(弘化2年)に完成しました。サクラやツツジの名所として知られているほか、園内からは御船山の特徴的な断崖絶壁の景色を楽しむことができます。
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嬉野エリア(佐賀県)
嬉野温泉
嬉野温泉はナトリウムを含んだ泉質で、入浴した後につるつる感があることから「美肌の湯」として知られています。神功皇后の三韓征伐から戻ってきた際にこの地で温泉に浸かって疲れを癒した際に「あな、うれしや」と喜んだことが「嬉野温泉」の名前の由来と言われています。古くから嬉野ではお茶の栽培が盛んで「嬉野茶」として販売されているほか、嬉野温泉を利用して炊いた「湯どうふ」がご当地グルメとして知られています。嬉野温泉の商店街中心部にある「シーボルトの足湯」は無料で利用できます。
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塩田津の町並み
(編集中)
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