旅行する際、どの観光地に行ったら良いか迷う方は多いと思います。この記事では奈良県奈良市やその周辺エリア(生駒市・大和郡山市・斑鳩町・天理市など)の観光スポットを紹介します!
奈良市中心部エリア
【シカがたくさんいる!】奈良公園
奈良公園は約502ヘクタールの総面積を持つ都市公園で、たくさんのシカが生息していることで有名です。鹿せんべいが販売されており、鹿せんべいをシカにあげるのは奈良公園の定番の楽しみ方。奈良公園のシカは春日大社の神の使いとされています。奈良交通周辺には興福寺・東大寺・春日大社など様々な観光地があります。
【国宝指定の中金堂・五重塔】興福寺
興福寺(こうふくじ)は釈迦如来を本尊とする法相宗大本山の寺院で、南都七大寺の1つとされています。669年(天智天皇8年)に藤原鎌足夫人である鏡王女が夫の病気平癒を祈願して山科に創建された山階寺を前身とし、710年(和銅3年)に現在地に移転し興福寺となりました。興福寺は藤原氏と関係が深く、藤原氏は大和国を実質支配していたことから興福寺は強大な勢力を持っていました。本尊である釈迦如来を安置し2018年(平成30年)に再建された中金堂、日本の木造塔としては2番目に高いとされる五重塔、興福寺では最も古い建物である北円堂などが見どころで、これらの建物は国宝に指定されています。
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【四季の景色を楽しめる日本庭園】吉城園
吉城園(よしきえん)は奈良県が所有する日本庭園です。この地には興福寺の子院である摩尼珠院があったとされており、1919年(大正8年)に造園されました。池の庭・苔の庭・旧正法院家住宅・離れ茶室などが配置されており、新緑や紅葉を楽しむことができます。
【基本情報】 【交通アクセス】
【平城京に氷を献上していた】氷室神社
氷室神社は710年(和銅3年)に元明天皇の勅命により春日山に氷神を祀ったことを起源とし、860年(貞観2年)に現在地に移転しました。春日野にある氷池で凍らせた氷を氷室に蓄え、その氷を平城京に献氷する制度があったとされており、氷室神社に祀られている闘鶏稲置大山主命・大鷦鷯命・額田大仲彦命は氷に関連する神様として知られています。13世紀には雅楽の伝承組織である南都楽所の拠点が氷室神社に置かれ、奈良の舞楽拠点となっていたそうです。
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【奈良の大仏で有名!】東大寺
東大寺は奈良大仏(盧舎那仏)を安置することで知られている華厳宗大本山の寺院です。8世紀に聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くなった皇子を弔うために創建された山房を前身とします。742年(天平14年)に大和国の国分寺・総国分寺である金光明寺となり、747年(天平19年)に東大寺となります。聖武天皇の大仏造立の詔により造られた大仏は2度焼失。現在の大仏は1690年(元禄3年)に再建されたもので、大仏を安置する大仏殿は世界最大級の木造建築物として知られています。木造金剛力士立像・石造獅子像が両脇に立つ南大門、奈良時代の建築である法華堂なども見どころです。
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【山焼きで有名!芝で覆われた特徴的な山】若草山
奈良公園の東端に位置する標高341.8mの若草山は、なだらかな山の傾斜が芝で覆われている外観が特徴。山頂からは奈良市街地を一望することができます・若草山の芝である「ノシバ」は近畿地方では若草山周辺でのみ自生。毎年1月に山全体を燃やす山焼きが行われることで有名です。
【基本情報】 【交通アクセス】
【昔ながらの町並みが残る】ならまち
近鉄奈良駅と京終(きょうばて)駅の間に位置する「ならまち」と呼ばれるエリアには伝統的な町家が残されている昔ながらの町並みとなっているほか、伝統的建物をリノベーションした飲食店・雑貨店・ギャラリーなども多く見られます。
【南都七大寺】元興寺(極楽坊)
元興寺(がんごうじ)は智光曼荼羅を本尊とする真言律宗の寺院で、南都七大寺の1つとされています。6世紀末に蘇我馬子が飛鳥に創建した法興寺を前身とし、710年(和銅3年)の平城京遷都の際に移転しました。11世紀頃までの元興寺が現在の「ならまち」と呼ばれるエリアの大部分が境内となっていたなど、強大な勢力を持っていたそうです。1451年(宝徳3年)の土一揆による焼き討ちで元興寺境内の大部分は焼失、その後は境内に住宅が建てられたこともあり、元興寺は極楽坊・観音堂(元興寺塔跡)・小塔院の3つに分かれます。明治以降の元興寺極楽坊は荒廃が進んでいましたが、戦後に境内の整備や建物の修理が進められ、本堂・禅室などは国宝に指定されています。
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【南都七大寺】大安寺
大安寺は十一面観音を本尊とする高野山真言宗の寺院で、南都七大寺の1つとされています。聖徳太子が額田部(現在の奈良県大和郡山市)に創建した熊凝道場を前身とし、その後病気となった聖徳太子を田村皇子が見舞った際に聖徳太子の遺言に従い百済大寺を建立。その後も移転や改称などを経て、716年(霊亀2年)に大安寺となりました。本尊である十一面観音は秘仏で10月・11月のみの公開。讃仰殿には7体の仏像が収蔵されています。
平城宮跡・大和西大寺エリア
平城宮跡歴史公園
(編集中)
【基本情報】 【交通アクセス】
【南都七大寺】西大寺
西大寺は釈迦如来を本尊とする真言律宗総本山の寺院で、南都七大寺の1つです。孝謙上皇の金銅四天王像造立を発願したことにより765年(天平神護元年)に創建。創建当初の西大寺は壮大な伽藍を有する寺院でしたが平安時代以降に衰退、その後鎌倉時代に叡尊により復興します。本堂・愛染堂・四王堂には国宝・重要文化財に指定されている仏像が多く安置されています。
西ノ京エリア
【鑑真により創建】唐招提寺
唐招提寺(とうしょうだいじ)は廬舎那仏を本尊とする律宗総本山の寺院です。759年(天平宝字3年)に鑑真が新田部親王の旧邸宅を譲り受け寺院としたことを起源とします。鑑真は唐から招かれた僧で日本に戒律を伝えました。唐招提寺の金堂は奈良時代の8世紀に建てられたとても古い建築物です。
【奈良時代の三重塔が現存!】薬師寺
薬師寺は薬師三尊を本尊とする法相宗大本山の寺院で南都七大寺の1つとされています。680年(天武天皇9年)に天武天皇の発願により天武天皇が鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の病気回復を願って藤原京に創建され、710年(和銅3年)に平城京に移転しました。戦国時代の兵火により多くの建物が焼失していますが、三重塔である東塔は奈良時代のまま現存する薬師寺唯一の建物です。
生駒エリア
【生駒聖天】寳山寺
寳山寺(ほうざんじ)は不動明王を本尊とする真言律宗大本山の寺院です。鎮守神として大聖歓喜天が祀られていることから「生駒聖天」とも呼ばれています。655年(斉明天皇元年)に役小角(えんのおづの)が生駒山を修験道場として開き、1678年(延宝6年)に湛海により再興。商売の仏神として古くから大阪商人に信仰されていたほか、皇室・徳川将軍家・郡山藩主の柳沢氏からの信仰も篤かったそうです。1877年(明治10年)に再建された聖天堂は「八つ棟造り」と呼ばれる寺院では珍しい建築様式です。
大和郡山エリア
【天守台から景色を一望可能!】郡山城跡
郡山城は1162年(応保2年)に「雁陣之城」と呼ばれるお城が築かれたことを起源とし、1580年(天正8年)に筒井順慶(つついじゅんけい)が入城すると近世城郭として大規模改修が行われます。その後は豊臣秀長・水野勝成・松平氏・本多氏・柳沢氏が城主となり、1873年(明治6年)に廃城となります。郡山城天守台は展望施設となっており、大和郡山市街地・奈良盆地を一望することが可能。また戦後に追手門・追手東隅櫓・多聞櫓・追手向櫓が復元されています。
【基本情報】 【交通アクセス】
【あじさい寺】矢田寺
矢田寺(やたでら)は地蔵菩薩を本尊とする高野山真言宗の寺院です。大海人皇子(天武天皇)が戦勝祈願のために矢田山に登り、676年(天武天皇5年)に十一面観音菩薩と吉祥天を安置し創建。それから約150年後に満米により地蔵菩薩が安置されると地蔵信仰が広まり、矢田寺は「日本のお地蔵さま発祥の地」とされています。「あじさい寺」として知られており、約1万株・約60種類のあじさいが咲き誇るあじさい園が矢田寺の見どころです。
天理エリア
【日本最古級の神宮】石上神宮
石上(いそのかみ)神宮は布都御魂(ふつのみたま)大神を主祭神・ 布都御魂剣を御神体として祀る旧官幣大社・旧二十二社の神社です。日本最古級の神社として知られており、古事記や日本書紀で石上神宮の存在が記されています。御神体として祀られている布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は武甕槌・経津主による葦原中国平定の際に使われた剣とされており、崇神天皇7年にこの地に祀られたとされています。拝殿は1081年(永保元年)に白河法皇が宮中の神嘉殿を寄進されたものと伝えられていて国宝に指定されているほか、現存最古の拝殿といわれています。
【基本情報】 【交通アクセス】
【日本最古級の歴史を持つ神社】大和神社
大和(おおやまと)神社は旧官幣大社の神社で二十二社の1つ。本殿の中殿には日本大国魂(やまとおおくにたま)大神、左殿には八千戈大神、右殿には御年大神が祀られています。日本最古級の神社とされており崇神天皇7年に創建。平安時代初期は伊勢神宮に次ぐ広い社領を持つ神社でした。史上最大の戦艦「大和」には大和神社の分霊が艦内に祀られていたことから戦艦大和と関係があり、境内には戦艦大和ゆかりの碑や戦艦大和展示室などがあります。
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