【九十九島・平戸・有田・伊万里】佐世保市周辺のおすすめ観光地11選!

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リアス式海岸にたくさんの島々が浮かぶ九十九島、オランダとの国際貿易と平戸藩の城下町として栄えた平戸、「有田焼」「古伊万里」の名前で知られ焼き物の町として栄えた有田・伊万里など、長崎県佐世保市やその周辺は歴史や自然にあふれた観光スポットが多くあります!

この記事では長崎県佐世保市やその周辺エリア(平戸市、佐賀県有田町・伊万里市)の観光スポットを紹介します。

佐世保エリア

【西海鎮護・佐世保最大規模の神社】亀山八幡宮

亀山八幡宮は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后 ・仁徳天皇・保食の神を祀る神社です。佐世保市内で最大規模の神社で別表神社に定められています。天武天皇白鳳4年に宇佐神宮から分霊を迎えたことを起源とし、明治以降に佐世保に海軍の鎮守府が置かれ軍港都市として発展すると、佐世保の鎮守神として信仰されてきました。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 路線バス…西肥バス 堺木バス停から徒歩約10分

【鬼が岩をくり抜いた!?】眼鏡岩

眼鏡岩(ねがねいわ)は2つの穴が開いた天然の大岩で、眼鏡のような形が特徴です。昔の佐世保には大きな鬼はおり、鬼が両足を伸ばしたことところ岩を突き抜いたといわれています。804年(延暦23年)に空海が唐へ向かう際に岩面に千手観音像を刻んだとされており、眼鏡岩に刻まれている千手観音像が現在も薄っすらと確認できます。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 路線バス…西肥バス 堺木バス停から徒歩約10分

【九十九島を一望できる!】展海峰

佐世保市の俵ヶ浦半島に位置し1981年(昭和56年)に開園した展海峰(てんかいほう)からは九十九島を180度一望することができます。海は展海峰の西側に面しているため夕日の絶景スポットとして知られているほか、春には菜の花・秋にはコスモスが咲き季節の花々を楽しむことができます。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 路線バス…西肥バス 展海峰バス停からすぐ

【3本の高い無線通信塔】針尾送信所

無線通信の重要性を認識した大日本帝国海軍により1922年(大正11年)に針尾送信所が建設されました。3本の塔が立っており、1号塔・2号塔は135m、3号塔は137mの高さで、大正時代に建設された現役の塔状構造物としては日本一高いです。戦後から1997年(編成9年)までは海上自衛隊や海上保安庁の無線施設として使用された後、2013年からは施設の一部か一般公開されています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 自動車…西九州自動車道 佐世保大塔インターから徒歩約20分
  • 路線バス…西肥バス 高畑バス停から徒歩約30分

【世界最長級のアーチ橋】西海橋

西海橋(さいかいばし)は佐世保市針尾島と西海市西彼町(西彼杵半島)の間を流れる針尾瀬戸にかかる全長316m・高さ43mのアーチ橋です。針尾瀬戸は潮の流れが速くうず潮が見られることが特徴です。長らく「陸の孤島」といわれていた西彼杵半島の活性化のために1955年(昭和30年)に西海橋が完成、佐世保市と西彼杵半島を自動車で行き来することが可能になりました。日本初の支間長200m越えのアーチ橋が採用され、固定アーチ橋としては世界3番目の長さです。2006年(平成18年)には並行して新西海橋が完成しました。橋の機能が優れていることや橋の外観が美しいことから観光で訪れる人々も多いです。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 自動車…西九州自動車道 佐世保大塔インターから徒歩約20分
  • 路線バス…西肥バス 西海橋東口バス停から徒歩約5分

【日本本土最西端の地】神崎鼻

東経129度33分・北緯33度13分に位置する神崎鼻(こうざきばな)は「九州最西端の地」であり、沖縄本島などの離島を除くと「日本本土最西端の地」とされています。神崎鼻公園の西端には「日本本土最西端の地」の碑が立っています。夕日の絶景スポットとして知られているほか、佐世保市小佐々支所などで「日本本土最西端訪問証明書」を発行しています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 自動車…西九州自動車道 佐々インターから徒歩約25分
  • 路線バス…西肥バス 神崎入口バス停から徒歩約30分

平戸エリア

【平戸瀬戸に面するお城】平戸城

平戸城は平戸瀬戸に突き出た丘陵地に築かれたお城で「亀岡城」とも呼ばれています。1599年(慶長4年)に平戸藩初代藩主の松浦鎮信により築城開始されましたが、完成間近の1613年(慶長18年)に火災により焼失。その後しばらく再建されませんでしたが、1707年(宝永4年)に平戸藩4代藩主の松浦棟により再建。この時天守は建てられず、二の丸に建てられた乾櫓を主要建物としていたそうです。1871年(明治4年)に一部を残し平戸城の建物は解体されました。狸櫓と北虎口門は当時の姿のまま現存。1962年(昭和37年)に模擬天守などが復元されました。天守では平戸城や松浦氏に関する歴史資料の展示が行われているほか、平戸市街地や平戸瀬戸を一望できます。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 路線バス…西肥バス 平戸市役所前バス停から徒歩約10分

【国際貿易で栄えた平戸の歴史を伝える】平戸オランダ商館

平戸は国際貿易で栄えた街で、室町時代はポルトガルとの貿易、江戸時代前期はオランダやイギリスとの貿易が行われていました。1609年(慶長14年)に江戸幕府とオランダが正式に国交を結ぶと平戸にオランダ商館が置かれました。しかし1640年(寛永17年)に倉庫に西暦の年号が記されていることを口実に江戸幕府により取り壊しを命じられたことにより平戸オランダ商館は取り壊され、その後オランダ商館は長崎に移転しました。平戸の歴史と文化をわかりやすく伝えようと2011年(平成23年)に平戸オランダ商館が復元され、館内では絵・書物・貿易品などの展示が行われています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 路線バス…西肥バス 平戸桟橋バス停から徒歩約5分

川棚・東彼杵・波佐見エリア

片島公園

(編集中)

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…JR大村線 小串郷駅から徒歩約40分

伊万里・有田エリア(佐賀県)

【高品質な焼き物を生産】大川内山

古くから肥前国の有田・三川内・波佐見では焼き物(陶磁器)の生産が盛んに行われ、伊万里は焼き物の積出港として栄えました。佐賀藩の鍋島家は有田などで生産された高品質な焼物を朝廷・将軍家・諸大名などへ献上しており「鍋島焼」とも呼ばれていました。1675年(延宝3年)に鍋島藩御用窯が有田から大川内山(おおかわちやま)へ移転。伊万里の山奥に位置し、出入口に関所を置いて厳しく管理するなど技術の漏洩防止を徹底しており「秘窯の里」として高品質な焼き物が生産されていました。現在も大川内山では焼き物生産の技術が継承されているほか、古くからの町並みが残されています。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 路線バス…西肥バス 大川内山バス停

【陶器で造られた鳥居が特徴!】陶山神社

有田は焼き物(陶磁器)の原料である陶石が採掘できたことから、古くから焼き物の町と知られています。有田で生産された焼き物は「有田焼」と呼ばれ、有田には有田皿山代官が置かれるなど佐賀藩主鍋島家より重要視されていました。陶山神社(すえやまじんじゃ)は応神天皇を主祭神として祀る神社です。1658年(万治元年)に有田皿山代官の命により創建されました。「有田焼陶祖の神」として有田焼職人からの信仰を集めており、鳥居や狛犬が時期によって作られていることが特徴です。参道を横切る形でJR佐世保線の踏切が設置されており、撮影スポットや珍百景スポットとしても有名です。

【基本情報】

【交通アクセス】

  • 鉄道…JR佐世保線 上有田駅から徒歩約10分



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